Untitled

先月の旅行にはフィルムカメラを持っていきました。
ローライコードⅢ型という1950~53年頃の二眼レフカメラです。
三脚を構えてブラショフの街並みを撮影していた時、よく声を掛けられました。
写真家ブラッサイの名が、この街の名前のブラショフ出身に由来していることを知ったのは帰国してからのことです。たしか、どこかの建物に碑文があったと記憶しています。
連休中の幾日かを使って、夜中のアトリエを暗室代わりに印画紙へ焼きました。
額装して、ちょっとした贈り物にしようと思っているところです。

Pensiunea Leaganul Bucovinei Suceava

こちらは日曜日の正午過ぎ。部屋の窓を少し開けてデッサンをしています。
持参したポケットラジオをこちらのAM局に合わせて、流れてくる曲を聴いています。
本当に静かで、ひとの気配を感じません。ここは郊外だけど民宿や住宅も多いところです。実際には、家のなかでゆったりと過ごしているのでしょう。
このデッサンは2日に分けて描いていたのですが、初日部分はやはり硬さがあると、自分でも判ります。今日は少し抜けてくれたようです。あともう少し手を入れて鉛筆を置きます。帰国へ向けて荷造りです。

“Blue over Gray”

ブコヴィナ地方の修道院群を再訪しました。
宿のご主人Andreiさんが車の運転とガイドを務めてくださいます。娘さんで共同経営者のAlinaさんも同乗くださって、彼のルーマニア語をAlinaさんが私にもわかるように平易な英語で通訳してくださいました。
写真はフモール修道院の壁画で、画家トーマの手によると伝わっているフレスコ画の部分です。中央に描かれた人物は画家自身を描いたものだと伝えられているそうです。
“Blue over gray”と、Alinaさんが教えてくださいました。この地方のフレスコ画法における、青色の特徴を表したひとことです。大野彩氏の著書「フレスコ画への招待」のなかにも、ルーマニアのフレスコ画の青色について解説されている箇所があります。本来はフレスコ画には向いていない青の顔料をしっかりと壁面へ定着させる技術があったのだそうです。この画法も、その青に独特の色味を帯びさせている理由のひとつかもしれません。
青色の表情は修道院ごとに違いがあります。あります、といっても、各種のガイドブックからそのことを知っているだけで、僕はそれらの差異に意識的になることは無かったのですが、その地その地で調達できる材料によっても、色調に僅かな違いをもたらすことはあり得るのではないかと、なんとなく想像しています。
宮廷画家トーマ(Toma din Suceava)のことをウェブで調べる限りにおいては、赤みを帯びた温かみのある色調が特徴と記載されています。Andreiさんによると、ここフモール修道院から大きくは離れていないモルドヴィツァ修道院でもトーマは仕事をしただろうと、お話になっています。こちらの修道院はたしかに、赤みを帯びた青が印象的です。

Brasov

たとえば台北の迪化街を歩いた時に感じるような懐かしさとも、テレビの紀行番組で知った街並みに触れてそれを追体験するようでもない、例えようのない感覚。午後のふとした時間から人が見えなくなって、淡いトーンの建物が続く石畳の道。ひっそりとしていますが、人の気配はあります。けれど視界には入りません。
この感覚。ブラショフをずっと再訪したかったのは、これなのだと思いました。
日没は7時半くらいかな。空の色は紅く染まることなく、青いアクリル板を後ろからLEDで発光させたような、面の色として青く光るようです。それがだんだんと夜の色になっていきます。
街頭にも火が灯ります。オレンジ色の明かりがはじめは弱く、そして数分ごとにだんだんと明るさを増していきます。

Untitled

 

このプレス機が僕のアトリエに来てから四か月が経ちました。
ラチェットレンチでボルトの緩みをチェックして、注油口にオイルを差して、ギヤ部分をグリスアップしました。
幾か所にウェスを挟み込んで、浸み出てくる余分なオイルを受け止めているところです。

 

Bricolage

筆置きを増やそうと、急ごしらえの器用仕事です。
僕のアトリエには捨てる手前用のごみ箱があって、そこからごそごそと、余った角材を引っ張り出します。
8mmのドリルピットで穴をあけて、中心をのこぎりでカット。
鉄やすりで角を落として、ざっくりと。

Untitled

講演のために来日されているマリオさんご夫婦と都内をまわりました。
あいにくの雨でしたが、楽しんでくださったようです。
片言のイタリア語で案内していると、日本語もカタコトになっていきます。
行き慣れたはずの場所なのに、方向感覚を失って右往左往です。
写真はご夫人のルイーザさん撮影。