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2月16日の夕方、シガー ロスのコンサートへ



コンサートは、会場が暗くなってからこっそり靴を脱いで足をだらんとさせて、目を閉じて、浸ってきました。この感じを持ち帰りたかったので、終演後に座席で耳栓をして、できるだけほかの人の会話が聴こえないようにして帰ってきました。

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この日はコンサートの前にひとつ展覧会に行くつもりだったのだけど、ちょっと疲れてて後日にすることにして、早めに会場の最寄り駅(国際展示場)へ降りることにしました。時間もあったので海の見える方へてくてく歩いて、水の広場公園のベンチでぼーっとしたりもしました。

シガー ロス来日公演のアーカイブを検索すると、会場に港が近いところが多いような気がします。それは、ここではない何処かへと開かれている場所であるようにも感じます。
オフィシャルサイトで今回のツアーがほぼ1年をかけて世界中を巡ることも知って、移動すること、彼らの音楽の中に旅が含まれていることを感じました。そういえば、僕にとって開演を待っていた時の感覚は、国際線の搭乗ゲート前で過ごす、空港でのあの時間に似ています。そこがもう国内ではないということも含めて、何かざわざわしている感じです。

演奏する場所のこと。僕にとっては絵を展示する空間を考えることに通じています。
3年前のレディー ガガの来日公演がベルーナドーム(西武球場ドーム)であったことも、ふと思い出しました。ここは西武池袋線西所沢駅からの支線の終点で、自然に囲まれています。あまたある開催候補地のなかでアジア唯一の会場がここであったことに、なにか感じ入るものがありました。


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2月10日と11日

銅版画プレス機のローラーが水平になるように調整しました。油圧ジャッキでほんの少しずつ持ち上げて、水準器は使わずに自分の眼で水平を見つけます。そこからもう少しだけ持ち上げてストップ。スペーサーを挟んでゆっくりとジャッキを戻していきます。
作業時間にしたら短かったと思うけど、慎重に作業したのでくたくたになってしまいました。いつもと違うところが筋肉痛です。



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2月1日 岡安圭子さんの朗読会へ

今年は会場が変わって、中板橋の1ROOM COFFEEへ伺いました。
年に一度、ここだけで会うことのできるいつもの皆さんとのおしゃべりも、なんというか、変化していることと変わっていないことを確認できる場となってくれています。


岡安圭子さんの朗読会は、そのお話を聴きながら周囲の音音を感じ取ることのできるひとときです。
朗読がはじまる前に、岡安さんは「聞きながら寝てしまってもいいんですよ」と、よくお話しになっています。僕も岡安さんの声を聴きながら全然違うことを考えていたりします。空調の音だったり外から電車の通過する音が聞こえてきたり、それが朗読中の話の内容と偶然に重ね合わさったりします。

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年末から1月はじめ頃に

昨年12月にコロナに罹患して、3週間ほど仕事がストップしてしまいました。
かかりつけ医からの処方薬ですぐに症状は軽くなったのですが、アトリエに行って手を動かそうとすると咳が出始めてしまう…という日が続いていたように思います。
とりあえずはアトリエの掃除をしたり、溜まっていた新聞記事の切り抜きをスクラップブックに糊付けしたり…ということをしながら体調の回復を待つことにしました。

年末にはだいぶ落ち着いてきて、アトリエの大家さんから頂戴していたリンゴや柚子をモチーフに、水彩で手を動かすところから始めています。



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11月30日 赤坂のライブハウスへ

毎週月曜日の昼休みに大学の教員室でお会いする音楽の先生がいらっしゃいます。ジャズ音楽がご専門の、とっても明るいお方です。
授業前の教員室はバタバタと慌ただしい時間帯なのですが、そんな中でも、甘いもののおすそ分けを頂戴したり、陽気でたのしい立ち話をさせてもらっています。その先生のライブへ伺いました。

これは来場者への粋なプレゼント。素敵なひとときでした!



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10月の20日頃に

ちょっとしたお礼の品に用意した写真です。
数年前にルーマニア・ブラショフの旧市街を撮影した一枚で、深夜のアトリエを暗室の代わりにして引き伸ばしたものです。マットは700番、額縁の色にはF&Bの243番を選びました。



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10月17日
シス書店「シュルレアリスム宣言100年」展へ

この展覧会に寄せられた巌谷國士氏の文章に惹かれて、リーフレットを買い求めて帰宅しました。
氏の翻訳による岩波文庫版『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』は、今も僕の本棚のすぐ手の届くところに並んでいます。

《 読者が「自らに由る」ことを前提に、与えられた通念や常識や、教条や戒律や、さまざまな同調圧力から自由になろうとしている場合にこそ、この特異な宣言と小話集との合成本は、生き生きとした自由の書になるのだろう。》

そう、どれだけこの本に力をもらったことだろう。(僕にとってシュルレアリスムというのは、けして独特な表現手法の芸術のことじゃなくて、当たり前のことを当たり前にやるんだという、心意気です。)
このリーフレットから、それがアンドレ・ブルトンの言葉であるとともに、巌谷國士氏の眼差しでもあることに気づかされて、大変に感じ入りました。



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9月21日、紀尾井ホールへ

一絃琴演奏家の友人からお知らせをいただいて、邦楽の演奏会へ伺いました。この日の最後に演奏される曲に客演として参加されるのだそうです。
いろいろと想いを巡らせながら聴いていましたが、プログラム最後の曲に感情をくすぐられたのは、その旋律だけが理由ではないと思います。



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9月11日の20時に

小学校のときに同じクラスだった友達が漆芸作家であることを知って、少し前からSNSで繋がることができていたのですが、この日、本当に久しぶりに会うことができました。最後に会っているのは二十歳のころだと思うので、34年ぶりでしょうか。
彼は現在は富山に住んでいて、都内で開催されている日本伝統工芸展の会議の折で実家に帰省したのだそうです。

地元のスーパーの駐輪場で待ち合わせて、自転車を押しながらいろいろ話しつつ、僕の仕事場に案内してお茶をしました。ここで人をもてなすことは無いので、とりいそぎの紙コップでお茶を注ぐ感じです。

いろいろなことを話せました。彼もイタリアに滞在していたことがあるそうで、お互いの共通点にびっくりしながら夜遅くまで話し込んでしまいました。イタリア・ルネサンス期でも細かい分野の芸術家の話から、ボール盤の軸ぶれ対策のことまで…、いつかのおしゃべりの続きのようでした。
この翌日に千葉市立美術館へ Nerhol 展を観に出かけることにしていたので、その足で日本橋三越で開催中の日本伝統工芸展へ伺って作品を鑑賞させてもらうことにしました。
会場で本人には会えなくても作品はここにある、という感じ。こんな感覚を共有できる友人と再会できたことが本当に幸いでした。