2月3日、東神田「組む東京」にて

岡安圭子さんの朗読会に参加しました。この季節に恒例のイベントで、自分で自分のダイアリーを遡ってみると2018年からの参加になるのかしら。

朗読会のとき、僕は目を瞑って聴いていることが多いのですが、ときおり岡安さんの声がすこし違った位置から聞こえてきます。それは一歩二歩ぶんのわずかな距離なのですが、目を開けてみると会場の私たちに一人ひとりに向けて話しかけてくださるようでした。参加者一人ひとりへ、宮沢賢治の文章の断片で語りかけてくださっていることに気がつきました。

朗読が終わったあとで小さな封筒をいただきました。中には賢治の文章の断片を書き綴ったカードが入っています。顔見知りとなっているひとにはその人をイメージして、初めて参加された方へは、名前の漢字からその人のことを想像して、ことばを選んでいらっしゃるのだそうです。
封筒はその場では開けずに、帰りの電車で座れた時に開いてみました。(絵のことを言ってくださったのですね!)


朗読会からの帰り道に

この日の朗読は、宮沢賢治「注文の多い料理店」からはじまりました。
これまでに何度かは触れてきているはずなのに、僕は話の結末をすっかり忘れています。
体じゅうにバターを塗りたくって、さあどうなっていくのだろう…と、どきどきする感情のあとに待っているのはあっけらかんとした結末。はなしを聴いている自分のほうがなんだか狐に化かされたような、きょとんとして取り残される感じでしょうか。

宮沢賢治の描くものがたりの登場人物には、そのまま突き抜けていくひとと、そこにポツンと残されるひとがいるように思います。詳しい方がいらしたらとっても恥ずかしいのですが、初めてそのことを意識しました。